コラム

Column

富坂美織の「知ること、診ること、学ぶこと」  不妊治療成功の鍵を握る胚培養士の存在

「不妊治療の成績は、胚培養士さんの技量によるところがとても大きいんです」と力説する富坂美織先生。生命誕生プロセスの重要な担い手である胚培養士。今回は富坂先生が勤務する「さくらウィメンズクリニック」の胚培養士・高橋朋子さんにご登場いただき、思いを語っていただきました。

彼女は富坂先生が全面の信頼を置く存在。気心が知れた2人だからこその本音トークから、胚培養士の緻密な仕事の裏側、計り知れない責任の重さ、国家資格を有しない立場の不安定さ、離職率の高さなど、知られざる現実が見えてきました。

※このコラムは、 旧・女医ネット(現在は doctor-agent.jp)に掲載されていたものを許可を得て再編集し再掲しています。

胚培養士 高橋朋子 日本大学農獣医学部応用生物科学科卒業後、小田原ウィメンズクリニック(現・ファティリティークリニック東京)に勤務し胚培養士としての経験を積み、2005年に神奈川レディースクリニックに入職する。IVF室長を経験し、2014年よりさくらウィメンズクリニックの培養部長として勤務。

農獣医学部から生命誕生の力添えをする胚培養士の道へ

富坂:これまで大学病院、クリニックを含めて、さまざまな現場で不妊治療に携わってきたなかで、胚培養士の技術の高さが重要だと実感しています。だからこそ、高橋さんのようにデキる人はひっぱりだこなんです。

高橋:ありがたいお言葉です。うちの胚培養士チームは5人体制でハードではありますが、チームワークがいいので充実した仕事ができてますね。

編集部:胚培養士は、繊細な卵子と精子を受精させ、その後も受精卵を管理するという高い医療技術が求められる仕事です。医師のように教育体制が確立していないなか高橋さんはどのようにスキルを身に着けてきたのですか?

高橋:私が初めて体外受精や顕微授精の世界に携わったのは農獣医学部にいたころです。当時は動物が対象でしたが、同じく人の生命誕生にも興味がありました。大学を卒業してから小田原ウィメンズクリニック(現・ファティリティークリニック東京)を紹介していただき、こちらで一から胚培養士の勉強をさせてもらったんです。入職してまず言われたのが「卵一つひとつに対しての責任の重さを心に刻んで仕事をしなさい」ということ。命の源を扱うことプレッシャーに押しつぶされることもありましたが、医師でもないのに赤ちゃんの誕生に携われることに感動したし、やりがいを感じました。

富坂:不妊治療の世界では、医師と胚培養士の役割分担が明確なんです。主に卵巣の刺激法の選択、採卵などは医師が行い、受精、受精卵の培養、移植前の融解などに関しては胚培養士が行います。だから、卵に関しては胚培養士さんのほうがプロフェッショナル。こちらが教えてもらうことが多いんです。

編集部:驚くのは、作業が思った以上にアナログな点です。例えば受精に使用する精子を精査するのも卵子のグレードを確認するのも肉眼。顕微授精の際、シャーレの中で卵子と精子を受精させるのも手作業と聞きました。

高橋:そうなんですよ。オートマティックで行うことも研究されてはいたんですが、「人間の目と手」に勝るものはないんですよね。私もそうだったんですが、一人前になるには、できるだけ多くの卵子と精子を見て経験値を増やしていくしかない。後進にノウハウを言葉で伝えるのには限界があり、感覚的なところは体感して学んでいくしかないんです。

富坂:本当に難しい仕事ですよ。簡単な精子調整なら私でもできるんですけど、それ以上は無理かな。中には培養のトレーニングをしているドクターもいらっしゃいますけどね。

高橋:昔、胚培養士がいない時代は、採卵したあと検卵し体外受精するといった一通りのことをドクターがやっていたそうです。不妊治療がこれだけ一般化しボリュームが増えた今は、分業していかないと成り立ちません。

世界的に見ても
日本の不妊治療レベルは高い。
なのに胚培養士が足らない……。

編集部:海外の胚培養士の現状はどうなのでしょうか?

富坂:私が海外滞在中に感じた印象だとアジア人のほうが培養技術が高いという評判でした。やっぱりね、おおざっぱなんですよ。向こうの方は(笑)。

高橋:日本人は国民性なのか几帳面だと思います。以前、オーストラリアで胚培養士の方々にお会いしたとき、同じくおおざっぱさでした(笑)。卵を長時間外に出しておいたり、胚操作も日本に比べると雑だったり……。

富坂:日本の不妊治療はとても緻密だと思います。海外だと採卵したらとにかく同じ周期に移植するところも多いし、移植する受精卵の数も3個以上ということもあります。日本では、ベストなタイミングで移植するため、一旦、受精卵を凍結することも多いです。胚培養士さんによる受精卵の凍結と融解の技術が高いことが、その治療が実現できている要因でもあります。

編集部:そういった日本の不妊治療を支える胚培養士さんが、今足りないといわれています。それはなぜなんでしょう?

高橋:思った以上に仕事がハードだからだと思います。受精卵を培養する過程はとても繊細だし、命の源をお預かりしているという責任が重大です。さらにはドクターからいい成績を求められ、そのプレッシャーに負けて辞めてしまう人も少なくありません。

富坂:性格的に向き不向きもありますよね。プレッシャーで手が震えてできなくなる方もいるとか。そして一人前になるのに時間がかかります。

高橋:そうなんです。

富坂:高橋さんは毎日顕微鏡をひたすら見ているわけですよね。

高橋:朝からお昼も食べずにずーっとのぞいていることもあります。

富坂:暗い部屋でね……。

高橋:卵子や精子を扱っているので、窓はありませんからね。集中力を切らさないまま顕微鏡を長時間見続けていると、血糖値が下がってくる。先生方もオペで集中が続くと頭がぼーっとしてくると言われたりしますが同じ感覚だと思います。

富坂:そうなんですね。朝は何時頃、出勤しているんですか?

高橋:8時半ですね。培養している受精卵のお世話や受精確認などを採卵前に終わらせておきます。それから胚盤胞をどのタイミングで凍結するかなど、午前中に1日の段取りをつけていきます。10個の胚盤胞のうち5個はもう少し培養して午後に凍結しようとか状態に合わせて対応していきます。

富坂:根気がいるし、精神力がないとできない。受精卵ひとつひとつにこれだけ人の手がかかっていて、培養液は高額だし、最新機器を揃えるとなると、不妊治療の費用はどうしても高額になってしまいます。

高橋:胚培養士は土日出勤も多く、心身ともにハードなので一人前になる前に辞めてしまう人が多いのが現状です。

富坂:経験を積むまで時間がかかるうえに、細かい作業ができないといけないので現役を続けるのも難しい。

高橋:そうなんです。50代の方でご自分で手を動かしている方もいますが、多くは監督者の立場。そこまでの地位が確立できればいいんですけど、そうなれる人は一握りです。とくにご家族のある男性の胚培養士さんは、将来に不安感を抱いている方が多く、ドクターのように国家資格があるわけではなく、かといってつぶしがきかない。私も果たして胚培養士になってよかったのかと思うときもあります。

受精卵を見れば患者さんが分かる。
やればやるほど、
やりがいを感じる仕事。

富坂:胚培養士は女性のほうが多いんですか?

高橋:施設のトップは男性が多いですね。女性が子育てと両立しながら続けるのが難しいんです。結婚や出産を機にやめるケースが多いですね。胚操作という業務内容を考えると子供が急に熱が出て帰るというのができない。人数が多い職場ならどうにかなるかもしれませんが。

富坂:えっ、高橋さんお子さんいますよね?

高橋:そうなんです。2人おります。毎日ボロボロです(笑)。私の場合は恵まれていて両親が手伝ってくれているので続けられています。やっぱりこの仕事が好きなんです。

富坂:高橋さんの生き生きとした表情を見ると伝わってきます。一番のやりがいって何ですか?

高橋:患者さんが妊娠されたときですね。うちのクリニックでは直接に患者さんと触れ合うことはあまりありませんが、出産の報告があると「あの方、何回も挑戦して大変だったよね」と思うとこみあげてくるものがあります。

富坂:高橋さんのほうが患者さんの細かいところまで分かっていますよね。あのベビーはあの卵とか。

高橋:そうなんです。患者さんのお顔よりも卵の映像が浮かんできます。

富坂:卵だけで分かるというのがすごい!

高橋:卵の表情がインプットされているというか。私が常に心がけているのは卵と会話すること。経験を積むと、その受精卵がどんな状態か一瞬で分かるようになってきます。だから妊娠報告書があがってきたときに「あの卵、元気だったからやっぱり妊娠できた。本当によかった」と思うのが楽しいです。やればやるほど面白い世界なので、やめられないんですよね。

富坂:というか、クリニックが高橋さんを離さない(笑)。他施設の胚培養士さん同士の交流はあるんですか?

高橋:すごくあります。狭い世界なので助け合っていかないとやっていけません。最新の技術や機器の情報をお互いオープンにしながら成長していこうという気風なので、横のつながりがとても強いですね。

富坂:それは心強いですね。胚培養士の世界では数少ない女性リーダーとして、高橋さんにはがんばって欲しいです。

高橋:女性でもやっていけるという道筋を作っていきたいんです。そのためにも後進を育てること、自分の技術を伝えることは、愛を持ってやっています。愛が重すぎて煙たがれないようにしながら(笑)。

富坂美織(とみさか みおり)
1980年東京都生まれ。産婦人科医・医学博士。順天堂大学医学部産婦人科教室非常勤講師。 順天堂大学卒業後、東大病院、愛育病院での研修を経て、ハーバード大学大学院にて修士号(MPH)を取得。マッキンゼーにてコンサルタント業務に従事した後、山王病院を経て、生殖医療・不妊治療を専門としている。
著書に『「2人」で知っておきたい妊娠・出産・不妊のリアル』(ダイヤモンド社)、『ハーバード、マッキンゼーで知った一流にみせる仕事術』(大和書房)などがある。

 

 

富坂美織医師の著書

「2人」で知っておきたい
妊娠・出産・不妊のリアル(ダイヤモンド社)

女性だけでなく、男性も一緒に考えてほしい
妊娠、出産、不妊治療のこと……。
産婦人科医の立場に加えて
医療の外からの目線で
生殖医療の知識や知っておくべきことを
分かりやすく伝えています。